【まちづくり】体当たり勇士の碑~北九州市民を2度も救った青年たち~(八幡西区大膳自治区会)
■大膳自治区会とは
“大膳”という地名は、戦国時代から江戸時代に活躍した黒田長政の筆頭家老である栗山大膳から頂きました。栗山大膳は、堀川の掘削工事を始めた人物です。
昭和22年地方自治法の成立により、折尾東区の大膳自治町内会として発足し、その後、昭和48年に大膳自治区会となりました。現在は、7つの町内会により構成されています。
地勢的には、東西に国道三号線、南北に筑豊本線、堀川が流れており、約1,000世帯の住民が住んでいます。大膳自治区会はさまざまな行事を通して、人材発掘に取組んでいます。
大膳自治区会の主な活動は以下の6つです。
- 暮らしに必要な情報の提供
(市政だよりの配布、広報誌の発行、その他行政からの回覧等) - 安全で安心できるまちづくり活動
(防犯灯の設置・維持管理、防犯・防災、見守り活動等) - 支えあい活動
(年長者や生活弱者への支え合い、年長者のサロン活動、買い物バス支援等) - きれいで快適なまちづくり活動
(美化活動、町内一斉清掃、市民一斉清掃、古紙回収、ごみステーション維持、管理) - 文化伝統継承活動
(「体当たり勇士の碑」清掃及び慰霊祭、七夕まつり、盆踊り大会、盆の送り火、どんど焼き、餅つき大会等) - 親睦活動
(グラウンドゴルフ大会、敬老会、大運動会、ソフトバレー大会)
- 毎日の登下校時の見守り(折尾駅入口交差点前)
- 盆踊り大会(8月)
- 市民いっせい清掃(堀川清掃、毎年10月第1日曜日)
- グラウンドゴルフ大会
★活動の詳細は、八幡西区自治総連合会HPで紹介しています!!★
八幡西区自治総連合会HPはこちら
■体当たり勇士の碑
今回は、伝統継承活動の「体当たり勇士の碑」についてご紹介します。
昭和19年8月20日午後5時頃、B29米国爆撃機が北九州を空爆する為に、80余機で侵入してきました。それを迎え撃つ為に、小月飛行場(当時の北九州の防空をしていた基地)から飛び立った
隊長機の他、もう1機が撃墜されました。野邊重夫准尉23歳、高木傳造軍曹19歳でした。撃墜された所に地元の人たちが、慰霊碑を建立して両勇士の行動をたたえました。後に分かった事ですが、長崎に投下された原子力爆弾は、当初の目標は、小倉でしたが、曇っていたため目標が分からず、このままだと燃料が尽きることと、日本の飛行機に体当たりされるのを恐れて、目標を変えたということです。両勇士は、2度も北九州市民を助けたことになります。第2次世界大戦終了後、毎年8月の第1日曜日に、大膳自治区会が慰霊祭と周辺の清掃活動を行っています。